フィリピン探訪記:最終日
フィリピン旅行最終日。
朝、起きていつも通り用意されている朝食を食べる。
(朝食のスープとパンと激甘コーヒー)
すでに見慣れたヴィーノの家の食卓の景色だが、ここで食事をするのもあと2回だけである。
今日で長いようで短かったフィリピン旅行も終わる。
この日は特に予定はなく、23時ごろのフライトで日本に帰ることになっている。
朝食を食べたあとは各自、部屋にぶちまけてある荷物を片付け、荷造りを終える。
ちなみに、フィリピンの人から見ると、日本人は旅行の際にものを持って行き過ぎるそうだ。
服やら生活用品やら充電器やらなんやら。
日本人からしたら結構持っていくものを少なくしたつもりでもフィリピンの人にとっては多いそうだ。
ここも日本とフィリピンの文化の違い。
というか、国民の気質の違いが表れていた。
その後はいつも通り、それぞれが思いのままにリラックスした時間を過ごす。
と、ここで1つ提案が。
どうせ時間もあるし、ヴィーノが経営している棺桶会社の工場を見学してみないかという話になった。
実はヴィーノは社長なのである。
まぁ、そもそも発展途上国において、旅行者を何人も泊まらせ、Wifiも完備している家を持っている時点で只者ではないのだが。
そんなこんなで、みんなでワゴン車に乗り込み棺桶工場へ向かう。
工場はヴィーノの家から近く、すぐに到着した。
ちょうど、お昼の時間で数人を残してみんな昼食を食べに出払っていた。
(棺桶の材料となる木材)
いつもは陽気でヘラヘラしているフィリピン人も仕事中は真剣な表情で棺桶を作っていた。
(たまたま、このときにいた人たちが真面目だったということもあるかもしれないが)
工場の中は暑さ対策のためか風通しがよく作ってあり、汗水垂らして棺桶を作るなんて感じではなかった。
あと、工場内にはネコが何匹か紛れ込んでいた(笑)
住みついているのか、ただ単に侵入してきたのかはわからないが、たまに足元をウロウロしている姿には癒された。
工場は2階建てで1階で枠組みを作り、2階で棺桶をペイント、装飾をしていた。
(こんな感じで棺桶の枠が作られる)
(完成品、ちなみに中に敷き詰められている布もこの工場で作っている)
ヴィーノの会社ではこういった棺桶を作成し、国内だけではなく海外に輸出もしているらしい。
また、普通の棺桶だけではなくオーダーメイドの棺桶も作っていて、内容によってはかなりの金額で作成しているらしい。
このあと、社長室(とはいっても簡素な部屋だが)などを見せてもらい、お昼に時間になったので、ヴィーノの家に戻ることになった。
(真ん中にあるのはマンゴーのソース、甘いが野菜にマッチしておいしかった)
これがヴィーノ家で食べる最後の食事である。
残念だが仕方ない。
せめて、最後の食事ぐらいは出されたものを全て完食しよう。
そう思い、結局最後の最後まで粘ったが完食することはできなかった(笑)
だって、量が多すぎるし。
肉を油で揚げてるからめちゃくちゃ重いし。
てか、フィリピン来てから絶対に太ったし。
そんなことを思いながら、最後の昼食を終えた。
昼食後はいよいよ空港に向けて出発する。
時間的にはまだ余裕があるのだが、ヴィーノの家からは空港までは結構な距離があるし、マニラ周辺はアホみたいに渋滞する可能性があるので、余裕を持って早めの出発である。
忘れ物をしたらさすがに回収不可能なので、何度も忘れ物がないか確認して、荷物をワゴン車に積み込む。
空港まではみんな来ることはできないので、サニーとアーロン以外はここでお別れである。
ヴィーノを始め、一部のフィリピンメンバーがお別れに来てくれた。
始めてフィリピン人と関わったが、みんな明るくて陽気でいい人たちばかりだった。
つい真面目に堅苦しくなってしまう日本人としては、彼らから得られたものは大きかったし、見習って行かないといけないこともたくさんあった。
(フィリピーノタイムは時と場合を考えないといけないが笑)
一抹の寂しさを覚えながら、ワゴン車に乗り込み出発する。
結局、空港に着いたのが出発から4時間後のことだった。
初日に空港からヴィーノの家に移動したときは2時間で着いたので大体2倍の時間がかかった。
予想通りというかなんというか、途中で渋滞に巻き込まれたのが大きく影響した。
ホント、日本の渋滞なんて比較にならないぐらいのエグイ大渋滞だった。
ただ、この渋滞で動けないときにジュースやお菓子の歩き売りをしている人がいて、こんな危ない道路のど真ん中でよく売るなぁ、なんてフィリピンの人のたくましさを感じた。
とはいえ、渋滞にドハマリしている関係で特にやることもなく、暇をしている状態だったので、こういった歩き売りの人からジュースやお菓子を買って食べるのも気分転換になって非常にありがたかった。
そんなこともありつつ空港に到着し、荷物をワゴン車から降ろす。
フィリピンにいる間、散々乗ったこのワゴン車ともこれでお別れである。
そして、一部の日本人メンバーもこのままマニラに滞在するので、帰国組と滞在組で別行動をすることになる。
メンバーも少なくなり、いよいよ終わりという雰囲気が出てくる。
ただ、かといって感傷に浸っている場合ではない。
ここからはかなり緊張感をもって行動しなければいけないからだ。
なんせ、ここは国際空港。
旅行者を始め、色々な人がいる。
ずっと同行してくれたフィリピン人メンバーもいないし、全て自分たちで判断して行動しなければいけない。
置き引き、ぼったくりなど警戒しなければいけないことはいくらでもある。
とりあえず、フライトまではまだ時間があるので空港内の施設で時間を潰すことにする。
どこに行こうかという話になり、最終的に食事をしたあとにマッサージを受けることになった。
この空港にはマッサージ施設があり、全身のマッサージが大体\1,500ぐらいで受けることができた。
日本では考えられない安さである。
ちなみにマッサージは程良い力で気持ちよかった。
他の人は普通に痛いと言っていたが(笑)
その後、フライトの時間が近くなってきたので搭乗口のあるターミナルに移動する。
だが、ここで1つ問題が発生した。
実はこのときにいた施設が第3ターミナルで、国際線の搭乗口があるのが第1ターミナルなので、移動する必要があったのである。
ただし、この2つは距離がかなり離れていて、徒歩ではまず移動不可能な距離であった。
そこで、何かしらの方法で移動する必要があった。
ただ、警備員に聞くと空港がシャトルバスを出しているから、それで移動できるとのこと。
さすがに警備員は変なことは言わない(というか言ってもメリットがない)と踏んで、シャトルバスの到着場を探すのだが、どれも似たり寄ったりでどこが到着場かわからない。
そんな感じであっちでもないこっちでもないなんてやっていると、1人のおっちゃんが話しかけてきた。
話を聞くと今日の分のシャトルバスはもう終わってしまって移動するにはタクシーしかないとのこと。
そして、このおっちゃんのタクシーで第1ターミナルまで連れて行ってくれると。
そう言っていた。
おん?
さすがに怪しすぎるやろ。
時間はまだ19時である。
空港のオフィシャルなシャトルバスがこんな時間で終わりなんてあり得ない。
十中八九、ぼったくりのタクシーだろうなと見切りをつけ、さっきの警備員に改めてバスの到着場を聞く。
教えてもらった場所に行くと普通にバスが来た。
運転手に話を聞くと、第1ターミナルへのシャトルバスとのこと。
やはりさっきのおっちゃんは旅行者を狙ったタクシーの運転手だったようだ。
ちなみにバスに乗る直前までおっちゃんは近くをウロウロしてタクシーに誘導しようとしていた(苦笑)
その根性は買うがやり方がヘタクソすぎる。
まぁ、そのやり方でうまくいくことがあるから、やっているのだろうが。
最後の最後で現地のおっちゃんとひと悶着あったが、無事に第1ターミナルに到着することができた。
その後は特にトラブルもなく、フライトの時間を向かえてフィリピンを出国した。
色々あったフィリピン旅行だったが、総じて振り返ると非常に有意義な旅行であった。
それはただ海外に行って「楽しかったで~す♪」なんて享楽的なものではなく、フィリピンの人と関わることで彼らの思考や物事への考え方。
そして、人や人生に対する価値観や、いい意味での緩さといった文化の違い。
そういった日本では決して学ぶことのできないことをたくさん学ぶことができたからである。
今回のフィリピン旅行で得たことは確実に今後の人生に影響を及ぼしてくると思う。
それこそが旅行の醍醐味であり、自分の人生をより豊かにする1つの手段なのではないか。
帰りの飛行機の中で、そんなことを考えながら1週間のフィリピン旅行は幕を閉じた。
フィリピン探訪記 fin